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風よ、万里を翔けよ新装版 (中公文庫) [ 田中芳樹 ]
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 もうすっかりご無沙汰で、このまま次のセンバツまで休眠(冬眠?)していても良いかなと思ったのですが、あまりに放置するのも何なので。
 とりあえず最近(でもないけど)読んだ本の感想でもぶん投げておきます。別に書評ブログでも無いので唐突感が凄いですが……(^^;

 あとは今年のアニメのまとめとかも書きたかったりするのですが、なかなかリアルタイムで追えているものが少なく、また、今年は年末から年始にかけて海外に行く予定なので、今年のうちに書くのは難しいかなと。2月くらいにしれっと書いているかも……(笑)



「風よ、万里を翔けよ」(田中芳樹著)
★★★☆☆(3点)

 花木蘭(ファ・ムーラン)は、少女の身ながら男装して軍に身を投じたという、中国で人気のヒロイン。
 また、「ムーラン」としてディズニーでアニメ化され、またそれを基にした実写映画も近いうちに製作される予定とのこと(最近、主演女優が決まったというニュースを見たような)。
 そんなムーラン=木蘭を日本でいち早く紹介したのが、この田中芳樹の歴史小説「風よ、万里を翔けよ」だ。
 
 木蘭は歴史上の人物というよりは、伝説上の存在。大元になったのは南北朝時代の作という「木蘭詩」。唐代には、白居易や杜牧が詩の題材にしたり、各地に木蘭の廟建立されていたりと、すでに人口に膾炙し親しまれていたらしい。
 とはいえ架空の存在かつ、上述の「木蘭詩」が非常にシンプルな内容で成立年代もはっきりしないということもあって、木蘭を題材にした作品は、設定もストーリーもバラバラ。共通しているのは、

①北朝(北魏~隋唐も含む)の時代と舞台であること
②徴兵に当たり、父親に代わって男装して従軍すること
③北方遊牧民族との戦いが主舞台であること

くらいなんじゃないかな。
 田中芳樹自身の後書きによれば、京劇では突厥と戦うという点は共通しているということだし、2009年の中国映画「ムーラン」では舞台は北魏、外敵は柔然だった(huluで見られます)。
 また、2008年に来日公演が行われた京劇「ムーラン」は、このページによれば、やはり北魏と柔然の戦いが舞台だったようなので(あ、でも「隋唐演義」では突厥の下で戦うのかな?)。

 そんな木蘭を小説にするにあたって、田中芳樹は最初こそ隋唐演義に組み込まれた木蘭の物語を下敷きにしようと思ったものの、その内容がイマイチだったので、隋末唐初を舞台に再構築したということが、後書きに書かれている。

 その結果、「風よ~」の木蘭は、最初は煬帝の高句麗遠征に従軍し、その後は張須陀の下で、各地で頻発する反乱軍との戦いに従事するという物語になっている。
 上述の基本形のうち、③をまったく無視しているという点で、非常に大胆なアレンジと言えそうだ。

 こうしたまったく新しい木蘭の物語世界を構築するにあたり、田中芳樹が非常に多くの文献を漁り苦心を重ねたらしいことも、後書きや、巻末の膨大な参考文献一覧から伝わってくる。
 古代(楚漢戦争や三国時代)と違い、隋末を詳細に扱った日本語資料は乏しい。特に個々の武将などについては、隋書や旧唐書、新唐書といった史書を直接当たるほかなく、田中芳樹が中国語に堪能らしいことを差し引いても、非常な苦労があったであろうことは察するに余りある。


 ……余りあるのだが、せっかく苦労を重ねて調べたのだからというMOTTAINAIの精神なのか何なのか、その成果をできるだけ小説に反映させようし過ぎてしまったように思う。
 その結果、隋末の歴史事象や人物の描写に紙幅を割き過ぎていて、主人公のはずの木蘭の影が薄い。

 そもそも木蘭伝説の面白さは、何と言っても少女が男装して性別を偽り軍に身を投じる、というところであろう。
 別に、女であることがばれそうになる、というようなエンタメ的シーンを入れろとは言わない。それは筆者が書きたいものとは明らかに毛色が違うだろうし。
 とはいえやっぱり、女性としての自分を捨てて男を演じ続け、共に戦い絆を深めていく戦友たちをも欺いているという状況は、様々な葛藤があってしかるべきだし、そうした部分に踏み込んでこその小説じゃないかと思う訳である。
 他にも、戦友として背中を預け合った賀廷玉に対する親愛の情が、男としての友情からくるものなのか、はたまた女性としての恋情なのか、軽く言及されはするのだが、ほとんど掘り下げられない。これも本当ならもっと突っ込んで良い箇所だろう(もっとも、田中芳樹は恋愛描写不得意らしいという評も目にするので、難しかったのかもしれないが……)。

 こうした男装の少女が戦うという木蘭の面白さを活かし、膨らませるような展開がほとんどないのでは、別に木蘭が主人公である必要性はないのでは、とすら思ってしまう。
 巻末の土屋文子の4ページ半の解説の大半がが、木蘭伝説と中国の封建的な女性観を絡めた考察に費やされ、本編への言及が最後の5行に留まっていることが何よりもそのことを如実に表しているのでは……(^^;
(敢えて言うなら、「女装」して王宮に忍び込んだ際に、煬帝と対面してしまうシーンだけは、木蘭という題材が活かされたところではあり、また本作のハイライトと言っても良い印象的なシーンではあったが)。


 これが例えば、煬帝あたりを主人公とした、隋の滅亡を描いた歴史小説だったら、素直に良かったと言えると思う。
 特に煬帝の、英明でありながら欠陥も抱え、国を破滅に導いていってしまうキャラクター性や、上述の木蘭との対面するシーンのような末期の退廃的な姿の描写は、なかなか読み応えがあった。
 また、その他に登場する様々な隋末の武将、群雄たちも、宇文述あたりは何となく名前を聞いたことくらいはあったが、張須陀とか沈光とかになってくると、ほとんど私の知らない人物ばかり。それが単純に、新鮮かつ知的好奇心を刺激されて楽しかった。

 歴史小説とは常に、文学(あるいはエンタメ)と蘊蓄の狭間に揺れるジャンルだと思う。前者は吉川英治とか北方謙三とか。後者の極致はもちろん司馬遼太郎(の代表作。司馬作品でも『梟の城』とかはエンタメに特化しているように思うので)。
 どちらにも良さがあるのは当然として、この「風よ~」は後者の蘊蓄型小説で、それは田中芳樹が様々なところで、日本人のほとんどが中国史について古代史(というか三国)しか知らないことへの不満を表明しているらしいことからして、当然の成り行きなのだろう。

 しかし、花木蘭というのは文学的、エンタメ的な魅力が満載な題材であり、蘊蓄に終始するあまり、そこがあまり活かされていないのが個人的には残念というか、せっかく花木蘭という日本ではほとんど手つかずの題材を得たのに勿体なかったんじゃないかと思ってしまう(余計なお世話だろうが)。
 著者本人は新装版の後書きで、本作出版後に公開されたディズニー映画「ムーラン」に触れて、

こんないい素材をみすみすアメリカにとられてしまうとはなあ、と、残念な気分もすこしありますがどういう形であれ花木蘭が多くの人に知られるようになったことを喜んでおります。

と他人ごとのように言っているが、それこそ田中芳樹次第では、本作を機に男装の美少女戦士・木蘭ちゃんが日本人にとってそこそこ知られた存在になることは、決して不可能ではなかったように思うんだが。


 それにしても、本作は2度も少女漫画家によってコミカライズされているのだが(新しい方は今も連載中なのかな?)、まるで艶っぽさの欠片もない本作が、少女漫画としてちゃんと成立しているのかどうか気になって仕方がない今日この頃。




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